第五話 いそぎんちゃく

7.巨


 牙のような三角波が小船を翻弄する。 船縁で砕け白波は、獲物を狙う海のよだれのようだ。 器で水を

かい出す度に、いやでもそれらが目に入る。

 「じ、爺さん」

 「黙って水さ、かい出すだ」

 老漁師の腕は、確かな動きで櫓を漕いでいる。 ジャパンとジャックは視線を交わし、仕事に戻った。

 ホロホロ……ホロロロロロ……

 「『いそぎんちゃく』!? まさか追いかけて来たのか!?」

 「み、見ろ!? 島が!」


 ホロホロ……ホロロロロロ……

 『いそぎんちゃく』の鳴き声に呼応するように地面が揺れていた。 丘の上の三人は、地面にへたり込んで辺りを

見渡す。

 「ど、どこから…」

 「おい、丘が……傾いて行く」

 「なに、ばかな……あ、あれ」 振り返った若者は、信じられないものを目にしていた。 「島が……起き上がる……」

 逃げ出した小船が漂っているのと反対側で、海岸が隆起していく。 砂や草地が地すべりを起こして海に流れ落ちて

いくが、それを上回る勢いで海岸の辺り持ち上がっていくのだ。

 「……」

 三人は傾いていく丘の上を、水平な場所を求めて這って逃げ回った。 手と膝の下で丘の土が崩れ、丘から滑り

落ちていく。 巻き込まれたら生き埋めだ。

 「うわぁぁ!」

 トラジマのウェットスーツを来た若者が逃げ遅れ、土砂と一緒に丘から流される。

 「トラジマ!」 仲間が手を出したが間に合わない。 助けようと差し出した手と、反対側の腕が土にもぐりこむ。

 「……なんだ?」

 手に土とは違う感触があった。 柔らかく纏わりつくような感じに、嫌な予感がする。

 ホロホロ……ホロホロホロホロホロ……

 『いそぎんちゃく』の鳴き声が背後から聞こえて来る。 気のせいか、声のする場所が高くなっていく。

 丘に残された二人は、ゆっくりと振り返った。


 「じいさん……」

 「……」

 荒れていた海が静まりかえっている。 逃げ出すのには絶好の機会だが、小船の三人は一点をみたまま身動きしない、

いやできなかった。

 「あの島自体が……」 ぼそりとジャパンが呟く「『いそぎんちゃく』……」

 彼らの視線の先で、巨大な金髪の女が半身を起こそうとしていた。


 「……」

 二人の若者は言葉を失い、巨大な『いそぎんちゃく』の頤が傾き、顔が立ち上がるのを見上げていた。 彼らの下のに

ある白い地面は、巨大『いそぎんちゃく』の乳房だ。

 「……はっ!」 赤いウェット・スーツの若者−−アカフク−−が、我にかえる。 「ま、まじぃ」

 「まじ?……まじだよ、これは」 白いウェット・スーツの若者−−シロフク−−が、気を抜かれたように応えた。

 「ち、違う! このデカブツが『いそぎんちゃく』なら、目を合わせちゃまずい!」

 「あっ!」

 その時、彼らのところに水が流れてきた。 巨大『いそぎんちゃく』が体を起こしたため、肩の辺りから海水が落ちて

きたのだ。 思わずそちらを見る二人と、それを見つめ返す『いそぎんちゃく』。

 「ひっ!」「駄目だ!」

 シロフクはとっさに目を閉じたが、アカフクはまともに目を見てしまった。 アカフクの体を冷たい稲妻が走り抜けた。

 「あ……ああ……」

 『ふふ……何がおのぞみ?……』

 アカフクの頭の中で、『いそぎんちゃく』の声がに甘く響く。 わきあがる欲望に、思考が奪われる。

 ”……あ……ああ……”

 淫らな『いそぎんちゃく』の顔がこちらを見つめ、毒々しいほど赤く扇情的な唇が微かに開き、女の匂いを吹き付けてく。

 『このお口がいいの?……いいわ……おいで……』

 艀が丸ごと通れそうな口が開き、鮮紅色の舌がゾロリと這い出してくる。

 ”ひっ……”

 『いそぎんちゃく』の舌は、蛇の様に先が割れていた。 肉厚の赤い蛇のような舌は、顎の上を這い下り、ゆっくりと迫ってくる。

 ”あ……あぁぁ……” 食われる生き物の恐怖が、『いそぎんちゃく』の呪縛をほころびさせた。 しかし、さらなる魔性の

誘いがアカフクを捕まえる。

 ペ……ロ……

 赤い『舌』の先の先がアカフクの首筋をなで、アカフクが総毛だつ。 得体の知れぬ感触に、アカフクの魂が究極の

嫌悪感、そして最高の悦楽に震えた。

 『お脱ぎなさい……その無粋なものを……その全身で味わいなさい……わたしの舌を』

 ひくひくと震える手で、アカフクはジッパーを下ろし、程よく鍛えられた若い男の肉体をさらけ出す。

 『おいしそう……』

 ベロォォォォ…

 舌先が、アカフクの体を縦に舐め上げた。

 ”ひぃっ!”

 体を貫く快感に、アカフクの体がが硬直した。 数回まとめていってしまいそうな絶頂間に、股間が激しく暴れる。

 『か・わ・い・い……』

 『舌』がアカフクを挟み、優しく閉じる。 『舌』がフルフル震えるのは、中でアカフクがいきまくっているからだろう。

 『おいで……私の口で……いかせてあげる』

 『舌』は、来たときの動きを逆に辿り、『いそぎんちゃく』の口に戻っていく、アカフクを捕まえたまま。

 「アカフク!? どうした!」 目を閉じたまま呼びかけるシロフクの声に応えるものは、もうそこにいなかった。

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